山海関/北戴河/清東陵②

liyuan2006-07-23


朝食前に、隣の市場を見学にいった。
庶民の生活を垣間見れる、旅先での朝の散歩はけっこうお気に入りの時間。
新鮮な野菜や、魚介、肉類、乾物を売る店がごちゃまぜになっている。
魚屋の隣は、八百屋で、その隣は、また魚屋で、隣に肉屋があって、その横は乾物屋といった具合。
このごちゃごちゃ感がなんともいえない活気を生み出してるのかもしれない。
おそらく私が普段スーパーで買っている値段の10分の一くらいの値段で大量に買えるんだろうなぁ。


「枝豆がとても実がしっかり入ってて、美味しそうで、買って帰りたい衝動に駆られた。」


朝食後は、北戴河というリゾート地へ車で移動。
砂浜のビーチがあり、訒小平が通ったことで有名な場所。
今では、北京市民にとっての海水浴場となっているようで、夏になると大勢の人が集まってくるそうだ。
泳ぐ時間はないけど、砂浜まで行ってみることに。
意外と外国人(おそらくロシア人)が多い。
ビーチまでの道には、水着やござなどを売る店が、時々あって、意外と可愛い水着が多いことに驚く。


砂浜は、足の踏み場がないほど海水浴客でにぎわっていて、海もイモ洗い状態。
こりゃ泳ぐのは嫌だなぁ…と思っていると、突然社長が、「おい!トドがいるぞ!」というので、びっくりして、砂浜を探すけど、見当たらない。
「え?どこですか?」と言ったら、「ほら、そこに2匹」
いわれた場所をよーーーくよく見てみると、確かにトドが(笑)


あまりの人ごみに波打ち際で、水遊びをするという気にもなれず、30分ほどで、見学終了。
天津の清東陵へは、高速が途中から工事していて、予想していたより時間がかかりそうだということなので、早めに移動することにした。


少し道に迷いながら、2時間ほど経過したころ、なんだか知らないおばさんがバスに乗り込んできた。
みんな寝ていた車内に、突然彼女のお構いなしの大声でまくし立てる中国語が響いてくる。清東陵の近くのレストランで働いている人で、清東陵まで道案内をしてくれるという。散々まくし立てたあと(と言っても、彼女はフツーに話しているつもりだったと思う。中国の田舎の人は特に声が大きい)、私たちがすでにレストランの予約を入れているということがわかったとたん、じゃあ私降りるわ!とか言ってる。
なんじゃそりゃー!
と内心思いながら、続きを聞いていると、観光バスを途中で捕まえてそのままレストランに連れて行くと、どうやら彼女の実績になるらしい。どうも話を聞いていると、そんな感じだ。
結局、彼女は途中まで道案内をしてくれて、あとの道順を教えてくれたあと、途中下車した。
寝ていた我々は、たたき起こされた挙句、嵐のように現れて去っていった彼女にきょとん。
なんだったの?今の人?


大方の事情説明をスルーガイドがしてくれて、みんなようやく納得。
まぁ、道に迷っていたところに、結果的にはただで道順を教えてくれたのだから、よしとしましょう。


昼食をとり、いよいよ清東陵へ。
清代の5人の皇帝*1と、15人の皇后、その他多くの妃嬪の陵墓があるそうだ。
清東陵は、敷地が広大だ。遠くに見える山々のふもとに広大な田畑が広がっている。
それぞれの陵墓は車で回る。そうじゃなくちゃ、とてもたどり着けないほど広い。


明の十三陵にもある石像がある参道の横を、車で通り過ぎる。


そして、まず東陵のなかでも最も華麗であると言われている慈禧陵(西太后)を見学。
レリーフがとても美しい。

「慈禧陵」

本来は、皇帝の象徴である龍が上で、皇后の象徴である鳳凰が下になるはずなのに、
慈禧陵は全て鳳凰が上になっている。さすが西太后。いかに絶大な権力を握っていたかがわかる。


建物の中は、西太后の写真や愛用品などが展示されていた。
その後にある肌寒いほどひんやりとした地下宮殿では、玄室に西太后の棺がおかれていた。ガイドによると、今も西太后はここの中で眠っているという。
思わず手を合わせた。美貌を保つために、常に母乳の出る女性を20数名抱え、母乳を飲んでいたといわれる西太后。本当はどんな人だったのだろうか。


そのあと、咸豊帝の定陵、乾隆帝の裕陵を見学。裕陵は、地下宮殿があった。
石畳なので、足が結構疲れた。

「定陵」



「裕陵」




全然期待していなかったけど、かなり見ごたえがあったようで、社長が大満足していた。
帰りも道に迷い、さらに渋滞に巻き込まれ、3時間かかった。
ようやく北京に到着したら、ものすごい雷雨だった

*1:順治帝康熙帝乾隆帝、咸豊帝(西太后の夫)、同治帝(西太后の息子)