平遥・太原旅行 3日目
今日も快晴。
部屋の中国風の窓から見える灰色の屋根と青空のコントラストが美しい。
昨夜はヘトヘトに疲れて眠りについたが、どうしてか目覚ましよりも早く目が覚めてしまった。
というわけで、朝食の時間まであと40分弱あったので、城内を1人で散歩してみることに。
朝の優しい日差しを受けて、古城の屋根や壁のグレーまでも淡く美しく見える。
朝の観光客の少ない通りを思いのままに散歩してる老人、
朝市で買った野菜を自転車のかごいっぱいに積んでるおじさん。
まだ寝ぼけ眼の子供たち。
昼間の観光客だらけの古城の様子とは一変して、朝の古城はそんな生活感あふれる一面を見せてくれた。
城内の地図を持っていなかった上に、どうも方向感覚の鈍い私は、あんまり遠くに行ってしまうとホテルに戻れなくなってしまうのが怖くて、入り組んだ小道の奥までは入ることが出来なかった。
護国寺(世界遺産)
朝食後、平遥古城とお別れして、鎮国寺へ。
途中、レンガの採掘現場を通る。ショベルカーで大地を削って、レンガの原料となる土を採掘しているらしい。ちょっと先には、普通に畑が広がっていて、そのうちあの畑まで削ってしまうのではないかと心配になった。
その横には、レンガを焼く窯があり、
その外には、焼きあがった無数のレンガが行儀よく積まれていた。
映画「あの子を探して」の中で、子供たちが町に行くバス代を稼ぐためにレンガ工場で、レンガを運ぶシーンがあるのだけど、それを思い出した。
本当は、車を停めて写真を撮りたかったのだけど、言い出せないうちに通り過ぎてしまった。
鎮国寺は、1000年以上前の木造建築が残る仏教寺院。
中国に現存する最古の木造建築の一つらしい。
山門の前に広がる庭に薔薇が咲き乱れていて、まるで花園のようだ。
寺自体も世界遺産の一つらしいけど、なんだかとっても寂れていた。
ここも寺としての機能はもう果たしていないらしい。
いわば、寺のミイラのようなものだろうか?
やはり生きてる寺の説得力のようなものを感じない。
うまく表現できないけれど。
ラサのポタラ宮に行ったときのように、信者でもないのに、思わず神仏に対して畏敬の念を抱いてしまうそういった、生きてる寺院独特の厳粛さとか荘厳さを感じることがないと思った。
鎮国寺を出て、太原に向かう。
祁県の古城
途中、祁県という町により、もう一つの古城を見る。
といっても、時間がないので、入り口を100mほど入っただけだった。
この古城は、大通りに面した店舗はほとんど現代のお店が多い。
その分、平遥古城より活気があるが、味気ない。
道端で、天秤の柄を作ってるおじいさんが、雰囲気があった。
子供の頃、香港や上海の市場でよく見かけた天秤を久々に見かけた。ソレ本当に重さ合ってる!?って突っ込みたくなる代物だ。懐かしかった。
「はかりの柄に掛かってる茶色い長い棒も秤です」
北京・上海ではめっきり見かけなくなった道路に積み上げられたスイカの山をみて、上海時代に母が路上に積み上げられたスイカの中から慎重に選んで買ってきたスイカが、なぜかいつもハズレだったことを懐かしく思い出した。
喬家大院
ここは、清代中期に為替業で栄えた大資本家の喬家一族が暮らしていた大屋敷だ。
四合院が4つくらい集まったお屋敷だ。
張芸謀監督、コン・リーの主演作「紅い夢(原題:大紅燈籠 高高掛)」のロケ地となったことで有名だ。
映画を観ていかなかったことをちょっぴり後悔した。
中国人ツアーのガイドは、どのガイドもしきりに「ここでは、あの映画のあのシーンを撮影した場所です」と案内している。
中国人にはとっても有名な映画なのだなぁと実感。
日本では、韓国で冬ソナを撮影した場所を見るツアーが流行っていると話題になっていたが、きっと中国人にとってのこの場所もそれと似たようなものなのだろう。
ここでも私たちのガイドは、一つ一つの部屋にある展示物(模型やら掲示物など)を丁寧に説明してくれたが、すっかり飽きてしまった。もう少し、ポイントを絞って解説して欲しいなぁと思いつつ。
面白かったのは、喬家の人たちは、子供の1歳(だったかな?)の誕生日に、本、算盤、剣などを贈り、こどもが最初に選んだものにより、本なら学者、算盤なら商人、剣なら武人というように将来を決めたという逸話だった。
私は、その当時の衣装とか、家具とか部屋の使われ方とかそっちのほうが興味あったのだけど、ガイドは何故か衣裳部屋は素通り…。
仕方ないので、他の展示物を解説している間に、こっそり抜け出して衣装を展示している箇所に戻ったりしていた。
すっかり協調性のない観光客になっていた。
しかし、お屋敷は本当に立派だった。
部屋が300程あるという。そんな家に主人として住んでみたいものだなぁなどと空想に耽ってみたりした。
チャイナドレスで撮影ツアーとかやったら、女性客は喜ぶかもなぁ。
お昼は、太原でとる予定だったが、なぜか喬家大院の近くにあるフツーのレストランへ。
衛生状態に疑問だらけのレストランだったので、最初はとても不愉快になった。
どーでもいいけど、ツアー料金で食事代として1人1食50元も取られているのだ。
トマトサラダとか出てきてちょっとびっくり。
怖くて食べられなかった。
不安の序章…
昼食時、運転手が「晋祠(しんし)」は見られないらしいとガイドに言っていた。
ガイドは「じゃあどうする?」と言ったきり、確認もせず。
彼らはおそらく私たちが中国語を多少理解しているとは思っていないらしい。
内心ちょっと不安だったけど、しゃしゃり出るのもどうかと思い、黙っていた。
見れなかった太原の晋祠
昼食後、予定を変更せず太原の「晋祠」へ。
車を降りて5分くらい歩かされた後、不安は的中した。
住民のデモで、閉鎖されているというのだ。
ガイドは、今初めて知ったというようなリアクションだ。
チケット売り場で確認したところ、3日前からこのデモをやっているらしい。
ガイド曰く、3日前からだったから、確認できなかった。とのこと。
(要するに、急な出来事だという意味らしい。)
私から言わせれば、3日も前からデモをやっているのであれば、当然来る前に分かるはず。
しかも昼食時に運転手から情報も入っていたのだ。
当然、ガイドとしては、事前に確認をするべきであったと思うのは、間違いだろうか?
それがプロというものではないのか?!
腹立たしくて、憮然としてしまった。
この時間のロス30分は、どうしてくれよう。
納得できないまま車に戻る。
すぐに代案が出てこないところもまたはらが立つ。
結局、運転手のアドバイスで、「天龍山石窟」へ行く事になった。
天龍山石窟
入り口で、山火事防止のための注意事項を係員から拡声器で受けるが、音が割れている上に、中国語でまくし立てているため、さっぱり分からない。
窓を隔てて、すぐ外にいるのに、拡声器を使うこともないのに…と思いながら見ていたら、ドライバーが「彼らは日本人だから、言っても分からないよ」と係員に言ってくれた。
さっきまで、ちょっと得意気に拡声器でしゃべりまくっていた係員は、それを聞いたとたん、え?と言ってちょっと決まり悪そうに退散していった。
その様子がなんともおかしかった。
車で山道を40分くらいかけて登る。この途中の景色が絶景だったため、機嫌が少し直る。
太原の町を一望できた。
そして、山々に広がる段々畑。なかなかの絶景だ。
ようやく目的地に到着。
そこから、徒歩で山を下りながらの見学。この階段はお年寄りにはキツイかもと思いつつ歩く。
途中のがけに、寺がありその寺の中をのぞくと大きな仏像がたっていた。
その横のがけには、無数の石仏が彫ってある。
しかし、ほとんど顔が削られている。
世界中に持ち出されてしまったのだそうだ。
日本の博物館にもあるらしい。
「小さな横穴の中に彫られた石仏。子供が入っていた」
遠くで雷が鳴りはじめ、ちょっとおびえながら、下の駐車場まで下る。
結構急な勾配だ。かなり疲れた。
飛行機の時間がせまっているからと、かなりせかされて下ってきた。
「晋祠」で無駄にした30分が、悔やまれた。
駐車場の横にもお寺が残されていた。
そこも一応見学。
ここも今は、寺としての機能は果たしていないらしい。
うしろに道教の寺もあるようで、白いひげをはやした道士が見えた。
そして蓄積された怒りは爆発
すべての観光は終了。
あとは、一路空港へ。
ところが、山を下っている途中に、急に大風が吹き、雷と雨が降ってきた。
ものすごい夕立だ。
車の中で、ガイドが「飛行機大丈夫でしょうかね?」と聞いてきた。
いやいや、それはこっちの台詞だよと思いつつ、ぐっとこらえた。
ガイドならちゃんと空港に電話して確認してよという意味で、
「確認する方法はありますか?」と聞いたら、「ありません」と即答された。
ブチッ!
頭の中で、何かが切れた音がした。
ガイドに対する蓄積された鬱憤が爆発した音だった。
でも、もうあと少しでこの旅も終りだし、私が怒ると他の二人も気分を害すると思い、押し黙ることで自分を必死で抑えた。
結局、大丈夫…じゃなかった。
悪天候のために飛行機の発着が出来ず、2時間半も遅れたのだ。
喫茶コーナーがあったので、そこでアイスコーヒーを飲みつつ時間をつぶしていたときに、トランプを持ってきたことを思い出した。
いやー、中国の旅にトランプは必需品だ。
飛行機をはじめ乗り物のディレイなんて日常茶飯事だし。
今回は、行きが汽車だったので暇つぶしにと思って、持ってきていたのが大いに役立った。
3人でビールを飲みつつトランプに熱中。
トランプなんて久々だったけど、なかなか盛り上がった。
持ってきていたスルメをかじりながら、トランプしている姿は、どこから見ても立派な中国人だ。
かなり現地化!?
あっという間に2時間半が過ぎ、いつの間にか天候も回復しており、飛行機も無事飛んできた。
その折り返し便に搭乗し、なんとか北京にたどり着いたのだった。
その後、ガイドに対してクレームはあげなかった。
他の二人はそんなに不快感はなかったというのだ。
ガイドとの相性ってあるんだなぁと実感した出来事でした。