ラサの旅③ 

liyuan2005-05-06

朝から大騒動

朝起きて、やっぱりなんか寒いので、おかしいなぁと思ってみたら、窓の立て付けが悪くて、ぴったり閉まらない。
だから寒いんだー!!と思って、バンバン閉めていたら、なんと窓が外れた!!


え!?


窓の外は、斜め下に向かって壁があるのみで、平らな場所がないため、ストンと落ちたら、そのまま地面にぶつかって割れてしまう。
大変だー。
慌てて、ルームキーピングに電話する。
すぐ服務員が来るが、ちょっと見て、「おぉ。また来る」と言ったきり、音沙汰がない。窓は、サンの上部にかろうじて引っかかっているだけだ。
心配になったので、ガイドさんにもう一度フロントに伝えてもらう。

相棒の不調

よく寝つけなかったために、かなり不機嫌。
しかも相棒が具合が悪いという。熱っぽい。大変だ。
食欲もあまりないようだ。
高山病発症か?
今日は、標高約4700mにある「ナムツォ湖」へ行く予定だ。
途中、標高5000m以上の峠を越える。無理して、体調を崩したら大変だ。


ここは、彼女をホテルに置いて行くしかないか…と思っていたら、
(この時、私もYさんも彼女のために旅程を中止して、ホテルに残ろうとは微塵も考えなかった…。我ながら、冷たいねー。)
ガイドさんが、体温を測ってから決めましょうというので、車で診療所へ。
しかし朝早いために、シャッターが閉まっている。


ドンドンドン!!先生!!急患です!!


…とは言ってなかったと思うけど、車の中から見ている限りはそんな勢いでガイドさんはシャッターを叩いていた。
しかし、応答はない。


すると、急に道路の向こうへ走り出すガイドさん。
何なにナニ?と思って、目で追うと、ガイドさんは道路の反対側にいた白衣の人になにやら話しかけている。
そして、再び道路をものすごい勢いで渡って帰ってきた。


この間わずか5分。
彼の手には、体温計が握り締められていた。


い、いつの間に!?


とりあえず、彼女の体温を測ったら、37度ちょっとある。
微妙なラインだ。
この時、彼女はラサの病院で点滴なんて打ったら、逆に病気になってしまうかもしれないと、本気で焦ったそうだ。
緊急事態というわけではないし、バファリンを飲んでるし、熱も下がるだろうということで、ナムツォ行き催行決定。

標高5000mの峠越え

ナムツォまでは片道4時間かかる上に、途中からはオフロードだ。峠越えもある。
私たちが乗ってるのは、フツーのワゴン。半端なく揺れる。
峠ではただでさえ、道幅が狭いのに、いたる所で工事をしていて、その上、峠ではお天気がくるくると変わり、雨が降ったり雪が降ったりして、道がぬかるんでいたので、カーブを曲がるたびに谷底に落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤした。


途中、道路の端っこでひれ伏したり立ち上がったりしながら歩いている一行に出会った。ガイドによると、巡礼の旅をしている人たちらしい。
周りは平原が広がっていて、何もない。一体どこから来たというのだろう?自宅から、五体投地をしては3歩歩き、また五体投地をして・・・大昭寺を目指すのだそうだ。もちろん1日では到底たどり着けないので、水と食料を運ぶ人が他にいて、その巡礼を支援するのだそうだ。


気が遠くなる巡礼だ。
チベット族の人は、一生に一度は、必ずこの巡礼を行うそうだ。


五体投地の巡礼は、テレビで見たことはあったし、五体投地も昨日八角街でおでこにタコができるほどやっている老人も見かけたりしたけれど、実際に五体投地をしながら聖地を目指す人を目の当たりにして、私は少なからず衝撃を受けた。
こんなに強い信仰心は、一体どこから来るのだろうか。
無宗教の私でも、時には神仏に感謝するときもあるし、神仏にすがりたくなるときもある。だから、神仏を崇拝する気持ちも、それによって自分が救われるということも、全く理解できない…というわけではない。


でも、彼らの信仰心の強さは私の想像を遥かに上回るものである。何が彼らをそこまで信仰深くさせるのだろう。
遠ざかっていく彼らを車の中から見つめながら、チベット族の人たちは、別名「祈る民族」と言われていると、紹介してくれたガイドさんの言葉を思い出していた。


ナムツォへの道程は、一瞬たりとも目が離せないほど美しい景色ばかりだった。
町を抜け、遠くに見えた山が次第に近づいて、いつのまにやら山を登っている。
お天気もくるくると変わる。


放牧されているヤク(私の上司は、“レゲエ牛”と呼ぶ)の群れや、羊の群れが草を食む。

「放牧中のヤクの群の横を車で通り過ぎる」



「放牧中の羊の群」


山の頂上に近づくにつれ、なんだか息が苦しくなってくるが、私は夢中で窓にかじりついて景色を見ていた。
車内には、携帯用の酸素ボンベも用意されていたが、とりあえず息苦しくなると深呼吸をしてなんとかしのいだ。
深呼吸を繰り返しているうちに、海抜5190m地点に到達。
記念撮影をするために車から降りて、二、三歩歩いただけで頭痛と息苦しさに襲われる。


空気が薄い!!


ということをかなり実感する。
近くにある山頂は、雪が積もっているし、風が強くそうとう寒かった。



お天気があまりよくない(みぞれやら雪やらが降っていた)ので、ガイドが、この先、もしかしたらナムツォまで行けないかもしれないと言い出した。
天候が悪いと道がぬかるんで車が通れなくなるそうだ。
実は、3日前のツアーも仕方なくナムツォで一泊したんですと、ガイドが言う。
相棒は、あさって日本に帰国するというのに、ナムツォに閉じ込められたら大変だ。
それに、高山病の危険にハラハラしながら過ごす、チベット滞在は、かなりのストレスだった。
観光もしたいけど、早くお家に帰りたい…。暖かいお部屋でのんびりしたいよーと、内心思っていた。
どうか、無事にナムツォまで行って、無事にラサまで戻って来れますように…。


ナムツォ湖が見える!とはしゃいでいたら、車は工事現場を迂回するように、オフロードを走行。



しばらく走り、再び砂利で舗装された道路に戻ろうとしたその時!


車が砂利で滑ってタイヤが空回りしだした。


あー、やっちゃった。


ガイドがすばやく車から降りて、シャベルで砂利をかくけど、タイヤはむなしく空回りするだけ。
ガイドは一生懸命、車を押しだした。私たち3人を乗せたままで。


…そりゃ、いくらなんでも無理でしょう。


ふと、こんなところで立ち往生して、日が暮れたらどうしようと、不安になる。
そこで、私たちも車を降りて、車を押すことに。


ついでにまわりの風景を撮影。
走っている車からは、何度シャッターを押してもぶれてしまっていたから、これはチャーンス!とばかりに、焦る運転手とガイドを横目にカメラを構える。
平原をまっすぐ伸びる道路は、とても素晴らしい景色だ。
空も手が届きそうなほど近い。

「オフロード」


「大地と空」


私たちが降りたら、車はあっけなく脱出成功!
うーん、私たちが重すぎたのか!?


なんとかたどり着いたナムツォ湖の入り口で、北京から持ってきた「入境許可証」の提示を求められる。
チベットに入ってから、一度も提出しなかったので、本当にこんなものをとる必要があるのか!?と思っていただけに、ようやくの出番だ!


車を降りようとしたら、チベット族の子供たちが4〜5人群がってきて、「ゴミ、ゴミ」「1元、1元」と言っている。
北京ではすっかり見なくなった光景だけに、ちょっと衝撃を受けた。


ガイドさんが手続きをしてくれている間に、トイレへ。
ここは有料トイレ。と言っても1人5角(約7円くらい)。トイレは、ドアはないけど、仕切りも一応あって(ちょっと低いけど)かなり清潔だ。新しいのと高所のためか、匂いもない。
青空トイレ、もしくは相当激しいトイレを想像していただけに、拍子抜けするほどのトイレだった。
しかし、しゃがんで用を足すという動作をするだけで、クラクラして息切れがする。歳を取ったら、こんな感じなになるのかもしれない。ちょっぴり老人体験?


ようやくたどり着いたナムツォ湖

いよいよナムツォ湖だ!
ナムツォは、チベット語で天の湖という意味らしい。
世界で一番標高の高い塩湖で、チベット三大聖湖の一つ、つまりチベット仏教の聖地でもあるという。


ガイドブックでは、湖の色はとても美しい青だったのだけど、目の前にある湖はなんか白い。
車から降りて、近づいてみると・・・!!!


なんと、凍っていた!!!


それも、薄く膜が張っているような氷ではなく、上を歩けるほど分厚く凍っている!
寒いとは聞いていたけれど、まさか凍っているとは思わなかった。
イメージしていた景色ではないので、かなりショックを受ける。

「凍るナムツォ湖よりニェンチェンタンラ山脈を望む」


「氷と空のコントラストは美しい」


氷の上で、写真を撮っていると、後ろにレゲエ牛(ヤク)をつれたチベット族がやってきて、写真を撮るか!?と聞いてくる。ヤクは近くで見ても、レゲエっぽい。ははは。

「レゲエ牛」


少し歩いただけで息切れがする。
ちょうど昼時だったので、予め持参したお弁当を食べる。
ナムツォのレストランは非常に高いうえに、美味しくないということで、ガイドさんが事前に準備していてくれたのだ。
私たちは、車内で食べていたが、外で食べていたガイドさんは、たちまちチベット族に囲まれて食べ物をねだられていた。
お弁当を食べていると分かると、私たちのバスの周りにも、チベット族が大人も子供も集まって覗きにくる。


小さな子供をつれたお母さんが私の窓の前までやってきた。愛らしい子供が、上目遣いに私を見ている。
他の観光客からもらったと思われるチキンをしゃぶっていた。
私は、自分のお弁当の中から残すつもりだった食べ物をお母さんに渡した。そして、カメラを向けたら、お母さんは子供をちゃんとカメラを見るように促した。




なんだか少し胸に隙間風が吹く。




彼らは、過酷な自然の中で神に祈りを捧げながら慎ましく暮らしていたのに、突然やってきた観光客が運んでくる現代文明との狭間で、その暮らしが乱されてしまったのではないか?
それは、彼らにとって悲劇的なことなのではないだろうか?
彼らは先祖代々自然の中で、あるものを上手に利用し、家畜を放牧させながら、家族や親戚が力を合わせて暮らしを営んできたはずだ。
それなのに、無理やり現代文明が良いのだという価値観を押し付けられて、今は現金収入を求めて大人も子供も観光客に群がっている。


大人はヤクを連れて湖畔に集まり観光客をみつけると、「写真、写真」といって後をついて回るし、子供たちはみな「一元、一元」といい、観光客が捨てた弁当箱を先を争って奪い合う。
貧富の差が激しいというけれど、それは我々がいるこの現代文明においての貧富であり、かわいそうという感覚も、我々が一方的に押し付けた観念であって、彼らにとっては伝統的な暮らしを守っていた方が、幸せだったのかもしれないと私は思う。
そんなことを考えていたら、やりきれなくなった。


命がけ!?

お天気がまた悪くなってきたので、小1時間の滞在で、ラサに戻ることにした。
途中、走るワゴンの窓から、なんどか景色を撮ろうとしたけど、ガタガタ揺れるために、なかなか上手くいかない。
本当は、車を止めて欲しかったけど、言い出せないままにどんどん景色が流れていく…。


帰りもバスがひっくり返るんじゃないかと思うほど、ガタボコ道を通る。
舌をかみそうになりながら、ヒヤヒヤしっぱなしだった。
たまにスリップしたりするし…。
山道でのスリップは本当に命が縮まる思いだ。狭い道の片側は崖なのだから。
ここで寝てしまって、気がつかないうちに崖のしたに車が転落したら気がつかないうちにあの世行き!?
そんなの嫌だー!と思って、救いを求めるかのように車内を見回すと…、


…みんな寝ていた。ガイドさんまで!
起きていたのは、私と運転手だけだ。
なーんで、こんなに揺れて怖いのに、眠れるんだー!!
もし今度来ることがあったら、絶対4WDの車じゃなきゃいやだ!と心に誓う。


ラサについてから、マジで怖かったと相棒とYさんに訴えたら、二人ともぐっすり寝ていたので全然気がつかなかったと笑っていた。


マジで怖かったんだってばっ!!


ちなみに、相棒は行き帰りのバスの中はほぼずっと寝ており、体調も悪化せず。
無事に帰ってこれて一安心だ。


ホテルに戻り、いったん休憩。
窓はしっかり直っていた。


高地のせい?ビールのせい?

夕食は、チベット民族舞踊を観ながら、チベット料理。
ここで、再びバター茶が出される。
再度チャレンジしてみるが、やはりまずい…。
ビールを注文する。
アルコールはダメだといわれていたけど、もう3日目だし、大丈夫だろうということで飲んでみたけど、全然美味しいと感じない。
ビール自体がまずいのか、高地のために味覚が変わっているのか?
はたまたバター茶のせいか!?


とにかく、いつもは1人1瓶なんて軽く飲んでしまう私たちなのに、ビールがちっとも進まずに、結局1瓶飲みきれず。
チベット料理は、バイキングだったが、たいして美味しいとも感じない。ヤクの肉は、牛肉と似ていた。
チベット舞踊は30分くらいあったけど、最初の5分くらいですっかり飽きてしまった。
いくつかの踊りを踊ってくれたらしいけど、説明がチベット語らしく、ガイドさんですら理解できないとのこと。
しかし、私たちは一番前の席だったので、一生懸命踊っている踊り子さんの前で、あんまり無関心な態度も取れず、一応写真を撮ってみたりしていたら、ちょっぴり疲れた。